ヒトは、あるモノに触れただけでその視覚的なイメージを作り上げることができるなど、 感覚情報を身体運動の指令情報へと変換できます。さまざまな感覚情報(視覚、聴覚、触覚など)を柔軟に統合させ、さらに身体運動へと変換させる能力は、他者の心的状態の理解、言語に代表されるシンボル使用など、ヒトの高度な知的特性に深く関わっているといわれています。
4次元エコーを受けるチンパンジーの妊婦さん
私たちは、ヒトとチンパンジーの知覚−運動システムの発達を、胎児期から乳児期にかけて縦断的に比較しています。4次元超音波画像診断装置や心拍測定器、ビデオカメラなどを使って、視覚、聴覚刺激に対する反応を記録、分析しています。
ヒトの胎児のあくび(妊娠25週齢)
チンパンジーの胎児
ヒトは、生後2ヶ月には第一養育者との日々のコミュニケーションの中に「典型規則」を見出します。たとえば、モニターを通じて母親が乳児にあやしかけると、乳児はその映像に対して微笑み、発声し返し、いつもどおりの反応を期待します。
ところが、特殊な装置を使ってその映像を1秒遅延させると、乳児は微笑を激減させ、ぐずり始めるのです。乳児がコミュニケーションの中で発見するこの典型規則は、「社会的随伴性(social contingency)」と呼ばれ、ヒトが自己・他者認識を獲得する基盤として多くの研究者が注目しています。
私たちは、オランウータンとチンパンジーの社会的随伴性の認知能力を、時間要因との関連において実証的に調べています。彼らは、自分の身体が遅れて映る自己映像を、「自分である」と理解できるのでしょうか。「いま・ここ」を超えた自己をもつのは、ヒトだけではないのでしょうか。
GATIのオスのオランウータン、Azy。
人工言語や数字を身につけている。
広大な敷地にそびえるGATIの大型類人猿研究棟
京都大学医学部付属病院のNICU(河井昌彦医長)では、出生時体重400g台の超低出生体重児から脳、臓器等に重い症状を抱えた新生児を広く受け入れ、日々懸命に治療に当たっておられます。その目覚しい成果は、極低出生体重児の生存率が95%を超えるという数値が示すとおりです。
他方、医療現場のスタッフの皆様は、NICUに置かれた赤ちゃんたちの心のケアにも強い関心をもっておられます。早産児の心の発達には、どのような社会的環境が望ましいのでしょうか。新生児医療の分野では、デベロップメンタルケアー(developmental care)が近年流行っているそうです。早産児を子宮外でのストレスから保護し、発達を支援しようという考え方です。
赤ちゃんに子宮環境に近い姿勢をとらせる、NICUでの視覚、聴覚刺激から赤ちゃんを保護するため、遮光や防音をおこなう、処置の際には声をかけ、終わったら赤ちゃんとのスキンシップでストレスを緩和する、といったものです。ただし、問題が残っています。
こうした考え方を医療現場で推奨する根拠となる科学的な裏づけが、いまだ十分示されてはいないのです。
最近の研究で、ヒトは胎児期(妊娠中期)にはすでに感覚―運動系システムがかなり機能しはじめていること、お母さんの声を認識し、好んで応答するなど、社会-認知能力を発達させていることがわかってきました。胎児期に培ってきた能力を、子宮の外でも十分発揮できる環境を整えることが、早産児の心の発達を支える上で何より重要です。
その整備のためは、早産児の社会-認知能力を客観的手法によって把握し、支援が必要と思われる側面をできるだけ早く特定することが必要です。早産児のコンディションによっては、NICU退院後も、社会-認知能力の発達を長期的にフォローすることに重点をおいた子育て支援も求められるでしょう。
実際、2007年の海外のレビュー論文は、早産児は、満期産児に比べて表情変化や相手の目を見つめる頻度が乏しいこと、それにより、母親は児とのコミュニケーションがスムースにいかないと感じ、子育てに強いストレスを感じることを示しています。
国内外でもほとんど例のない、早産児の心の発達とその支援を目指す研究に大きな期待がかかっています。