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   京都大学教育学部創立60周年記念講演会 要旨報告

          夢・対話・魂の活性化

                            京都大学名誉教授 東山 紘久先生

題目の「夢・対話・魂の活性化」というこ とですが、われわれカウンセラーは、対話を 主にして相談を受けております。対話には、 レベルというものがあり、最初に、意識的な 対話、意識と意識のレベルの対話についてお 話します。

対話とは、実は理解なのです。したがって、 討論とは異なります。討論が”何が正しいか” を求めて議論を戦わせるのに対して、対話は 相手の話を聞くことによって、相手を理解し て平和をもたらすものです。私の先生である カール・ロジャース先生は、アイルランド戦 争の時に、両方のメンバーをアメリカに集め、 エンカウンターグループという出会いのグ ループを開催して、いかに人間はお互いを理 解しあえるかを実践された先生です。これは 『アイアンシャッター』という記録映画にもなっています。今まで殺し合っていたメンバーたち が集まり、カール・ロジャース先生のもとで対話していくのです。そうするとお互いの憎しみが 次第に消えて、理解が深まるのです。本当に理解しようと思って相手の話を傾聴していますと、 人間は自分の気持ちが理解されたと感じ、それによってオープンになり、自分の非、欠点に気づ くようになり、今まで敵視していた相手でさえも理解できるようになります。

討論の場合は自分の考えを主張するのみで、話し合いは平行線に終わることが非常に多いです。 しかし、正しいことは、例えば諺で、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」−「君子危うきに近寄ら ず」、「チャンスは前髪つかめ」−「急がば回れ」というように、正反対の正しいことがあります。 つまり、正しいことは、1 つではなく複数あるのです。

私は、理事と副学長を拝命し、大学の運営に参画してまいりました。役員懇親会で、議案の説明をしていただく時のことですが、他の理事や総長は資料を読んでおられます。私は40 数年間、 カウンセラーをやっておりますので、資料は置いておきまして、説明者、その人の話を聞く。す ると、人間は、自分が引っかかっている箇所を説明する際、表情が変わったり、語調のスピード が落ちたり、「そうである」というところを「そうでない」といいまちがいをしたりします。そ の箇所がこの議案の考えなければならないところだと気づくのです。相手が何を一番言いたいの か。何を一番隠したいのかが見えてきます。言っている内容に矛盾のあることに当人自身が気づ かないことさえあります。

カウンセリングは、わかってはいるけれどもできない、やめられないという神経症的行動に対 する療法です。人間であれば誰でも一つや二つこれを持っているものです。例えば、喫煙があげ られます。煙草は身体に害がある。それは百も承知なのですが、なかなかやめられない。そうい う人たちに「害がある。肺がんになる率が高い」と理屈で押しますと、反論できないから、その 場では「はい、はい」と言いますが、それがストレスになって、今までゆっくり一服吸っていた ところをスパスパ数本吸うようになる。結局、注意をしてやめさせようとしているのか、より喫 煙を促進するのかわからないことになるのです。頭でわかることが行動と結びつくかどうかが問 題なのです。我々は頭で考えていることと実際の行動が違うということが少なくありません。ど うして理論と行動の解離が起こるのか。それは、頭で考えたことは意識できていますが、意識できないこと、無意識があって、意識と無意識に解離があるからです。例えば、「あの上司は嫌な 奴だ」と心の底で思っている。それは無意識ですから、もちろん気づいていない。意識としては 「あれは上司」と思っている。そうすると、その上司と接していると、胃がおかしくなってくる。 これが慢性化すると、ストレス性の胃潰瘍になるわけです。しかし、ストレス性の胃潰瘍と言われても、無意識ですから原因はわからないのです。本当の意味のストレスがどこにあるかは、な かなか気づかないので、ストレスと言われて、「ストレスですか。それじゃあ」と言って発散するのは難しい。この頭で考えていることと行動の解離に対して、無意識と意識をどう対話させる かという第二の対話のレベルを考えることになります。

無意識の材料は、いろいろと考えられます。例えば、河合隼雄先生がスイスから持って帰られ ました箱庭療法。箱庭とは、ミニチュアを砂が入っている箱の中に置いていくものです。カウン セラーはそれを解釈も何もしないで、「ほお」「へえ」と言って見ているだけです。ところが、実 際やってみられたらよくわかりますが、箱庭には自分のぴったりくるものしか置けないのです。 箱庭に5 頭の牛を置いた。それを6 頭にしてやろうと考えて6 頭入れると、何かわからないけれ ども気持ち悪いので、やはり5 頭にする。このように、ぴったりする位置にぴったりするものし か置けないのです。このぴったり感というのは、箱庭の治療の最大の治療要因だと言われます。 なぜぴったりするかはわからない。だけど、ぴったりしているかどうかは判別がつく。これには 無意識が関わっていて、ぴったりするかどうか感じながらアイテムを置いていく過程で、その人 は、自身の無意識と話をしているのです。ただこれは、その本人のぴったり感ですからなかなか 説明がつかない。

そこで、われわれは無意識の材料として夢を扱います。夢は見ようと思っても見られません。 私は、夢は自分の無意識から自分への手紙だと思っているのです。無意識はこう考えているので すという、私から私へのメッセージなのです。多くのカウンセラーが夢分析しています。私の師 匠のロジャース先生は解釈に対して反対派です。なぜなら、解釈をすると、せっかくの夢という 生の材料が、頭で考えることになってしまうからです。煙草は身体に害がある。理論はわかるけ れど実際にやめられないというように。

私が変な夢を見た時、河合先生のところに持っていきますと、「東山さんは、これ、どんなふ うに思った?」と言われます。私が答えると「せや、せや。そのとおり」で終わりなのです。先 生はどう思われますかと聞いても「いや、きみの言うとおり」と。でも、私の言うとおりだった ら、先生はいらないじゃないかとは思わないのです。不思議なのですが、先生が「どう思う?」 と言われた途端に、今まで思いもつかなかったようなことがすらすらと出てくることがあるので す。

会社人間のような中年の男性の夢を一つご紹介したいと思います。彼は家族のために一生懸命 に働いていることを自負して、会社人間であることに対して何のわだかまりもなく頑張っている 人でした。その人が夢を見ます。『家族で一緒に寝ていると、だんだん変なにおいがしてくる。 ものすごく臭く、気分が悪くなるような匂いがしてくる。何だろうと思って見ると、奥さんと子 どもが段々腐っていく』。それで目が覚める。この人は友だちなので、「東山さん、ちょっとこん な変な夢を見た。どう思う?」と聞いてくる。私が「どう思う?」と聞くと、「自分は一生懸命、 家族のためと思って働いている。その本心は変わらない。だけど、このまま働いていたら、家内 と子どもは腐っていくんだろうな」と。「だけど、上司からも期待されているのに、手を抜くわ けにいかへん」と。私は「人間には、一つ知恵があるよ。代替可能なものと代替不可能なものが ある。どれだけ社会的にその時マイナスであったとしても、代替不可能なほうを優先する。これ はものすごく大事なんだ」と言いました。その人は「ここという時はそうする」と。そして、「こ
ういうことがありますので休ませてください」と言うようになる。初めは「この頃、家庭サービ スに徹して、会社が二の次になってきた」という周囲の雰囲気だったのですが、そのうち、彼の 優しさが出てくるのです。今まで仕事一辺倒で、一生懸命やっているから、人がミスをすると、 実際にはその人に言わなくても、気持ちとしてはそうなっていた。それが代替可能か不可能かと 悩むことによって、器が大きくなって、他人を批判する気持ちがなくなっていくのです。上司は 「あいつは若いときからようできたけども、ゆとりはなかった。でも、ゆとりのある人間になっ てきたな」と。大事なポストに「あいつしかない」となる。部下や同僚たちも「やっぱりあの人 はすごい」となっていく。夢は、自分の無意識との対話。そして、それを聞く人がいることで話 をしている人が、はっと気づかれていく。これが行動を変えるのです。

最後の対話のレベルです。それは大いなるものとの対話です。大いなるものとは、神仏との対話です。大いなるものですから自然でもいいです。神仏は、臨床心理学的に言えば、魂の象徴で す。神仏と語ることは、どこか自分の魂と語ることになります。宗教はよく分派が起こりますけ れど、あたりまえのことで、自分の魂との対話ですから、一つの象徴にはまとまりにくいのです。 魂の象徴を意識することは、ものすごく大事なことです。

相談に来られる方もみんな自分たちの魂の象徴がありますので、それと話をしてもらいます。 何回も自殺未遂をした人に、死後の世界について、あなたの仏と一回対話してみなさいと言うの です。もちろん、なかなか対話はできません。けれども、対話しようと思っていると夢を見ます。 『自殺をして死後の世界に行き、コンクリートの地下牢で、冷たく湿気たところに自分が置かれ ている。そして、仏に「おまえがここから抜けるのは、56 億7 千万年後だ」と言われる』とい う夢。そうすると、自殺したらずっとあんな所に置かれるのか…となり、それまで何度も自殺を 試みていた人がぴたっと、とまりました。

教育学部は60 周年、つまり還暦です。最後に私の還暦の時の夢をご紹介いたします。『私は、 (ガチャガチャから出てくる球のような)丸い物の中に乗っている。命はどうして生まれるかと考 えている。そこへ棒のようなものがいっぱい通過していく。私はあの棒と私が乗っている球が合 体すると命が生まれるのかと思う。私の首に穴が二つ空いている。神さまがあらわれ、「命はこ うして生まれるのだ」と言って、一つの穴に部品を入れる。そして、神さまは、もう一方の穴か ら部品を一つと取られて、「これはわしが預かっておこう」という』。私は、それがもう一方の私 の穴に刺された時、神に召されるのだなと思いました。不思議なことに前より死が怖くなくなり ました。

教育学部が還暦を一区切りにして、未来に向けてどのような夢を持つか。目先のことだけでは なくて、みんな一人一人が、そこに寄り集い、みんなが夢を持ち、そしてその夢をどんなふうに 考えていくか、展望していくか。その中で教育学部が再生、進化していくことを祈っております。

どうもご清聴ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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