講義概要
2005年度講義概要
- 教育史概論U(火,5コマ,後期)
近代日本教育史について概説する。
「個性尊重」とか「画一的教育の廃止」ということようなことは,今日になって言われはじめたことではない。100年前から叫ばれ続けていることである。それははなぜなのか。近代日本の教育の歴史について学びながら,教育における「自由」の尊重が「差別」と結びつき,「平等」の希求が「画一」に陥るというジレンマについて考える。各回のタイトルは次の通り(変更の可能性あり)。
○近代学校装置の出現:寺子屋から小学校へ ○中村正直と森有礼の人と思想:明治「啓蒙」思想の射程 ○教育勅語と「御真影」:天皇制宗教の教義と儀礼 ○立身出世」への道:学歴社会の由来と構造 ○旧制高等学校の学校文化と人間形成:通過儀礼としての「狂乱の寮生活」 ○教育における性差の構造:「良妻賢母主義」下の女学生たち ○教育内容・方法における「画一」と「自由」:沢柳政太郎と教育改革 ○自由教育から生活教育へ:池袋児童の村小学校の実践 ○民間教育運動の行方:「教育」と「政治」のあいだ ○「戦ふ少国民」:戦時下の教育と国民学校制度 ○戦後教育改革の射程:「平等化」と「画一化」の功罪
- 教育史専門ゼミナールT(金,4コマ,前期)
「子どもは場所を選ぶ自由がある。時間を選ぶ自由がある。教師を選ぶ自由がある」
1924(大正13)年に創立された児童の村小学校の設立趣意書には、このように記されている。児童の村小学校だけではない。大正期には「自由教育」を標榜する教育実践がさまざまな形で展開された。
「大正自由教育」と総称されるこれらの実践は、必ずしも「成功」したわけではない。児童の村小学校も、1936年には廃校となった。しかし、「大正自由教育」の中には、私たちによる「発見」を待っている、さまざまな貴重な試みがなされている。そこには、そもそも教育における「自由」とは何かということを、事実に即して考えるための豊かな素材が含まれている。
この演習では、「大正自由教育」にかかわる主な論文を読むことによって、基本的な知識を身につけると共に、今日の教育をめぐる閉塞状況を乗り越えていく手がかりとなるような知見を獲得することを目指したい。
(なお、この授業は大学院との共用科目であり、昨年度までは大学院生と共同で行っていたが、今年度からは原則として学部生のみを対象とする。大学院生が参加を希望する場合は、事前に相談すること。)
- 教育史専門ゼミナールU(金,4コマ,後期)
「教育史専門ゼミナールT」を前提としつつ、各自が、「大正自由教育」というテーマにかかわる報告をする。どのような人物や学校を選ぶかは、それぞれの興味関心に委ねる。
なお、教育史の領域において卒業論文を書こうとする4回生は、必ずしも上述のテーマに関わりなく、それぞれの関心に応じた報告でよい。(この授業は大学院との共用科目ではあるが、原則として学部生のみを対象とする。大学院生が参加を希望する場合は、事前に相談すること。)
- 教育学基礎演習U(金,3コマ,後期)
テーマは「学校の文化史」。
街中にひしめくさまざまな建物の中でも、「学校」はすぐにそれとわかる。多種多様なファッションの中で、「制服」はすぐに見分けがつく。多くの書籍の中で、「教科書」はそれらしい顔つきをしている。これらのモノたちは、学校の「学校らしさ」を象徴するものであるとも言える。それにしても、なぜどのようにして、これらのモノたちが、学校を成立させる不可欠の道具立てとなってきたのだろうか。すぐにそれと見てわかるような、あまりにも「画一的」な姿は、いつどのように成立したのだろうか。そこには、どのようなメリットがあると意識されたのだろうか。歴史の中で、そして今日、この「画一性」を脱しようとする努力は、どのように行われているのだろうか。こうした問いの中から、今日の「学校」の息苦しさを少しでもやわらげる方向性を見出すことはできないだろうか。
この演習では、まず参考文献によって基本的なことを学んだ上で、学校建築・制服・教科書のグループに分かれて、これらのモノの成り立ちと由来を調べるとともに、学校らしくない学校建築、学生らしくない服装、教科書らしくない教科書の可能性につても考えることとしたい。「教育史専門ゼミナールT」を前提としつつ、各自が、「大正自由教育」というテーマにかかわる報告をする。どのような人物や学校を選ぶかは、それぞれの興味関心に委ねる。
- 民族と教育(水,4コマ,後期)
日本は多民族国家である。いわゆる日本人のほかに、在日朝鮮人、アイヌ民族、インドネシア難民出身の定住者や日系ブラジル人移民、フィリピンからの出稼ぎ労働者など、多様なエスニシティを背景とした人々が日本社会で暮らしている。しかし、さまざまな社会制度は「単一民族国家」であることを想定してつくられており、多民族的な状況を意識することは少ない。教育制度も例外ではない。「日本の伝統文化を尊重し、日本を愛する心」が大切であると学校で語られるときに、エスニックなバックグラウンドを異にする子どもたちが同じ教室の中に存在することはほとんど忘却されている。教育において「国際理解」や「異文化理解」の大切さが強調されることはあるものの、こうした教育実践もしばしば「単一民族国家」的な枠組みを前提としている。他方、日本社会のマイノリティとされた人々が「民族教育」を行うための学校はさまざまな不利益を受け、教育制度上において周縁的な位置づけがなされている。こうした状況はユネスコの提示してきた「国際教育」をめぐる指針にも反するものであり、「国際理解教育」の実践そのものにおいて日本は「国際化」されていないという皮肉な事態が生じている。
この講義では、以上に述べたような問題点をふまえながら、「民族と教育」をめぐる日本社会の現状と歴史について論じる。
- 教育史演習T(金,5コマ,前期)
昨年度に引き続いて、日本の台湾植民地支配の意味を比較史的な展望のもとで考察するために
Rwei-Ren Wu, The Formosan Ideology: Oriental Colonialism and the Rise of Taiwanese Nationalism, 1895-1945,(Ph.D. dissertation,Chicago University)
を読む(この学位論文は出版されていないので、コピーにより共有する)。
昨年度からの継続ではあるが、昨年度は日本の植民地政策の分析を主眼とした章を読み、今年度は台湾ナショナリズムの成立に関する章を読むので、今年度からの参加も十分に可能である。ただし、昨年度の資料等を配布するので、今年度からの参加者は、なるべく事前に連絡をとること。
- 教育史演習U(金,5コマ,後期)
久木幸男他編『日本教育論争史録 近代篇』上・下(第一法規,1980年)を読む作業を通じて,近代日本教育史に関する一定の共通認識を形成すると同時に,資料を「読む」力を身につけることを目標とする(なお,同書は絶版なので,コピーにより共有する)。
本書は,近代日本における教育関係の論争をとりあげながら,その背景・経過・意義をまとめた「解説」と,論争に関わった主要な論説を採録した「資料」から構成される。報告者は,まずそれぞれの関心に応じて対象とする「論争」を選択した上で,本書の「資料」に収められた文章はもちろん,その他論争に関わる資料を収集・整理・解読する作業を通じて,久木による解説を越えて自分なりに「論争」の背景・経過・意義をまとめる。参加者は,本書に収められた「論争」に関わる資料を事前に読み込み,論点をどのように整理し,どのように位置づけるべきかということを自分なりに考える。そして,演習の場でそれぞれの資料の「読み」を闘わせることとしたい。
なお、この演習は一昨年度からの継続となるが、初回の授業の際に昨年度参加者のレポートを配布するなどの措置により、新規参加者も参加しやすい状況をつくることに努めたい。
- 教育史特論(火,4コマ,前期)
「日本の台湾植民地支配とキリスト教」というテーマで講義をする。
19世紀において、キリスト教は西洋の帝国が「文明化の使命」の担い手として現地人(natives)を服属させるための武器であった。しかし、日本による植民地支配下の人々にとって、キリスト教は帝国の支配に対する抵抗の武器としての意味を持つことになった。それは、「東洋の帝国」たる日本がキリスト教を排斥し、天皇制という世俗宗教を創出したことの帰結でもあった。植民地の日本人官僚は、この点で西洋人の猜疑の視線を意識しながら、必死になって宣教師との協力関係を築こうとする。他方、キリスト教の布教の進展にともなって、宣教師と現地の人々との間にも協力関係が築かれることになり、ここに複雑な三角関係が生じることとなる。「日本史」にも「東洋史」にも「西洋史」にもおさまりきらないこの三角関係は、19世紀から20世紀にかけての「世界史」の縮図でもある。
この授業では、イギリス人宣教師が台湾に設立したミッション・スクールの歴史を縦糸としながら、「大英帝国」からはるか「極東」にやってきたイギリス人宣教師と、総督府官僚をはじめとした日本人と、キリスト教に改宗した台湾人との間の協調・葛藤・対立関係を横糸として、教育と宗教をめぐる「絡まり合う歴史」について論じる。
- 教育学研究(木,2コマ,辻本・鈴木・駒込で担当)
- 教育研究入門(金,5コマ,吉川・斎藤・駒込で担当)