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同窓会総会講演

松下幸之助の人づくり―松下政経塾での体験から

講師: 青年塾創設者 上甲晃氏

 私が松下電器に入った頃、松下電器には教育学部の同窓会がありました。歓迎会のときにこんな話をされました。「松下電器で、京都大学を卒業して重役、というのは1人もおらんのや」と。家に帰って、重役の名簿を見たら、小学校、高等小学校卒業ばかりで、京都大学卒業なんて1人もいなかったんですね。私は、なんで松下電器では京都大学を卒業した人が重役になれないんだろう、という素朴な疑問を持ったわけです。そして、新入社員なりに問題意識を持ったんです。先輩諸氏は、極めて分析的に、論理的に問題点を指摘するというのには、大変鋭い方だった。だけど「ここは学問の世界と違う。これでは企業では本当に受け入れられないんじゃないか」と感じたわけです。
入社して半年間、電器屋に丁稚奉公させられました。そのとき分かったんです。テレビを売りに行き、お客さんに断られると、学歴に自信のある人ほど、次に行動ができない。「俺は京大出とるんや。なんで断られないかんのや」となる。僕は思いました。「本当に企業の世界で生きていこうと思ったら、まず最初に忘れなきゃならんのは学歴ではないか」と。小学校4年で中退した松下幸之助はこう言いました。「小学校も出ていない僕がここまでやって来られたんだから、大学出の君が僕の数倍成功するのは当然や。それがそうはいかんのや。それは、学歴にとらわれるからや」と。学歴にとらわれたらあかん。これは私が松下電器で仕事をする、大きな基本としてありました。

私は40歳まで電子レンジの営業課長をやっておりました。そんなある日、上司に「松下政経塾出来たの知ってるか?」と言われたんです。「知ってますよ。松下幸之助も晩年に余分なことしたもんですね」と答えたら、上司が「その余分な仕事に、転勤や」と。思わず言いましたよ。「待ってください。僕、電子レンジの営業課長ですよ。政経塾は政治家を育てる学校だそうじゃないですか。できるはずがありません」と。そしたら上司は、「君がどうしてもイヤって言うんだったら、この転勤、断ろう」と。僕は、「クビになりませんかね?」と聞いたら、「心配するな」と言ってくれてね。「だったら断ってください」と言ったんです。上司は面白い人でした。「分かった。断るなら、君、しばらく姿隠せ」と。上司から逃亡命令を受けたのは初めてでした(笑)。1ヶ月間、1度も会社行きませんでした。そして、久しぶりに行ったら、上司の立場が大変悪くなっていたんです。「1人の課長もままにならんというのは、けしからん」と。だけど、私の上司は大変骨のある人でした。「俺も腹くくっとる。このためにやめてもいい」と言ってくれたんですね。「退職金さえもらえたら」とも言いましたけれども(笑)。非常に嬉しいと思いましたけれども、私みたいな者のために上司がクビになったら申し訳ないと思って、松下政経塾に行こう、と思ったんです。
しかし、政治に関心も興味も、勉強もしたことがない私にできるはずがないという気持ちは変わりませんでしたから、「最後の手段だ。松下幸之助に直接断ろう」と思ったんです。大変、決心と覚悟がいりました。そして、松下幸之助の前で「私は政治については全くの素人です。政治家を育てた経験なんか一度もありません。申し訳ないけれども、政治には関心も興味もありません。政治学については全く勉強していません。私のような素人にこの仕事は無理です」と言ったんです。サラリーマンにとって創業経営者の前に出るなんて一世一代の名場面。ここで心をつかむような一言が言えれば、出世間違いない、という思いもあって(笑)、松下幸之助の本を片っ端から読みました。ある本の中に「どんな高い地位に任命されても、どんな役職に就けと言われても、自分がその器ではないと思ったら、断れるぐらいの人間でなかったらいかん」とあったんです。タイトルは忘れもしません。『分を知る』。だから、きっと松下幸之助は「君、素人か?全然関心ないんか?勉強もしたことない。そらあかんわ。少しくらい経験あると思ってこの仕事頼もうと思ったけど、全く素人というなら、君あかんな」と言った上で、「しかし偉いなぁ。できんと率直に言えるのは大したもんや」と褒められて、二階級は特進すると私は思っとったんです(笑)。だけど返ってきた答えは全く違うものでした。「君、素人か?」「はい素人です」、「政治に関心ないんか?」「電子レンジ売ることしか関心がなく」、「政治学の勉強したことないんか?」「全く勉強しておりません」と受け答えすると、なんと「そうか君、そらええなあ」と言ったんですね。私は、自分に経験も関心も勉強もしたことがないのは、政治家を育てるという仕事をする上では100%欠点だと思っていたわけです。その欠点を、「そうか君、そらええな」とプラスに評価したわけです。そして次に言った一言が生涯忘れられない。「本当にいい仕事をしようと思ったら、本当にいい人生を送ろうと思ったらな、全ては自分の考え方次第やで。誰でも初めは素人や。今の政治が立派であればな、詳しく知ってることも値打ちある。今の政治はよくない。よくないことは知らん方がええ」。「素人には素人のよさがある。素人のよさに気付くと、素人が生きてくる」と。思わず立ち上がって、「頑張ります。いやあ、素人にもいいところあるんですね」としか言いようがなかったわけですな(笑)。

私は政経塾で一貫して考えていたことは、素人に徹する、ということだったんです。2つ決めました。「永田町に行くのはやめとこう」と。2番目に、「今までのプロの話を聞くのはやめよう。どんなに時間がかかってもいいから、自分の頭で考えてみよう」と。私はこのように思いました。「われわれはある意味では政治業界のベンチャーである。ベンチャーが生き残る道はただ1つ。業界の常識を変えることしかない」と。3つの挑戦をしてきたような気がします。まず、塾生を選ぶときに、親父が政治家でないということ。第2番目の挑戦は、選挙にお金をかけずにやってみせるということ。第3番目は、松下電器に一切頼らないということ。5年間も若い人を拘束するんだから、資格を取れる学校にしないとなかなか優秀な人は集まってこないという意見に対して、幸之助の答えは、「自分の納得できる教育がしたい。修士号や博士号を取れるようにしたら文部省の基準に従わないかん。そうなってしまったら本当の自分の思う教育はできない。だからこの学校は資格が取れなくてもいい。納得できる人づくりをしたい」と。
それで独特の方法をとりました。第1に、政経塾の人づくりの基本は、「自修自得」。自ら問いを発し自ら答えをつかめ。誰か教えてくれるかなという依存心が一番の学びの弊害になる。2番目の指針が、「万事研修」。本当に問題意識を持ってなにかをつかもうと思えば、全てが先生になりうる。松下政経塾は常勤の講師がいない学校なんです。そして、学校の運営管理から電話番まで、全部これを塾生に課しました。松下幸之助が政経塾を開いて最初の言葉が大変印象的だった。「君らには日本を代表するリーダーになってほしい。そのためには、どうしてもしっかりと励んでほしいことがある。第1に、誰よりも早く起きること。そして2番目に掃除をしっかりすることや」と。しかし、なかなか塾生が掃除をやらないんですよ。困り果てましてね、最初、○×をつけました。これは最悪の方法でした。管理で形は取れるんですよ。だけど、管理で人は育ちません。困って、人材育成の本を読んでおりましたらね、「指導者は率先してやらんといかん」と。だから、率先してやりました。でも、率先してやればやるほど、周りにはひんやりとした空気が漂うんです(笑)。みんなにやらせようと思ってやると、見てほしくてたまらなくなる。あてつけがましい。そんなわけで、塾生がやってきて、「掃除をしろとおっしゃいますけれども、改めてお尋したい。掃除をすることの意義と効用について、その理論的根拠を述べよ」と言うんです。述べようとしてことごとく失敗しました。問いから違ったんですよね。分かったからやるんじゃないんですよ。やるから分かるんですよ。
松下政経塾は政治学を一切教えてない。だけど、学問に精通しても、知っていることとできることは別、というのが松下幸之助の大きな問題提起。「どんな立派な道具を身につけても、使うその人間が心の貧しい姿では、絶対いい仕事はできない。だから、道具を揃えるという教育もあるけれども、松下政経塾は人間の力を高めるところ」と。政治家になるのには、専門的な知識も大事だけど、もっと大事なのは、みんなが嫌がることであろうと、本当にみんなのためになることであれば、率先してやりぬく心。みんなのためになることであれば、どんな汚れ仕事であっても、みんなが嫌がることであっても、「それは私がやりましょう」と率先してやることができる心を育てる学校という意味合いで、「しっかり掃除しいや」と、松下幸之助は言ったんじゃないか。

私が松下政経塾を離れるときに、この仕事に人生をかけるという意味において、松下電器に帰ってはいけないと思ったんです。当時私が指導を受けておりました伝記作家の小島直記が「人生のテーマを持つこと」と言われた。「いっぱいあるな」と思ったんですが、全部仕事のテーマだったんです。人生のテーマとは、死ぬ最後の瞬間まで追いかけるテーマのこと。ということは、退職してしまうと、全部消えてしまう。それで「あ、僕には人生のテーマがない」と思ったんですね。ここで松下電器に帰ったのでは、政経塾の仕事は、仕事のテーマで終わってしまう。そこで、青年塾を立ち上げました。中国などに毎年行ってまいりまして、一番強烈な印象を受けたのは、中国などの若い人に比べたら、日本の若者の目に力がない、ということ。若い人の顔に命のほとばしる、目の力を取り戻したいというのが私の青年塾の思いだったんです。3つの教育指針を掲げてあります。「不便・不自由・不親切」。人間は、人間は不便と不自由と不親切を与えると、苦労する。愛情を持って苦労させない限り絶対人は育たない。
教育実践を通じて分かったことは、1つは、「他人を変えることはできない」ということ。人に教育をしようという人は、自らが変わるということに誰よりも勇気を持っているという、そこからしか言葉を発してはならない。生徒を変える前に自分が変わることが大事だ、ということが、第1に感じたことでありました。
そして、「教育者はいくつになってもみずみずしい感じを、自らが持つ」ということ。そこで、日々発見、日々感動ということで、1300文字の文章を毎日書くということを修行としてやりました。今日で6221日目。そういうことをもってなにをしようとするかというと、内容でも文章力でもない。要するに、本気さ。その本気さの一番の原因は、自らの身をもって知ることであって、理屈ではないから。私は、特に人を導く立場にあろうとしている者は、求める限りは自らもやろうという決断がなければ、本当の教育はできない、自分自身が変わるという努力をすることが教育の原点ではないかと感じています。私の教育の体験記ということで、終わりたいと思います。

 

 来年は60周年記念事業と同窓会総会を同じ日に開催することとなった。日時は2009年6月14日(日)。今から予定を空けて、ぜひご参加くださいますようお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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