社会心理学研究,23,1,111-112,2007に所収

 

書評

松尾睦

経験からの学習:プロフェッショナルへの成長プロセス

2006, 同文舘出版

 

組織における学習と熟達化

 

1 本書の構成

本書は、筆者が、組織における学習過程に関して認知心理学・社会心理学と経営組織論をベースに、10年にわたって積み重ねてきた研究成果の集大成である。これらの研究は、経験学習と熟達化、さらに、知識創出、顧客志向の観点から、革新的組織のメカニズムを明らかにしようとしたものである。

本書は、3部構成で序章と7つの章からなる。

序章[本書のアプローチ]は、「問題意識」として、「営業担当者、コンサルタント、プロジェクトマネージャに焦点を当て、彼らがいかに経験から学習していることを明らかにすることを目的としている」と述べている。そして、組織学習論に基づくナレッジマネジメントによる知識共有が、若手や中堅社員の真の経験学習を妨げている「知識共有のジレンマ」を指摘している。そして、「良質の経験」と「経験学習するサポート体制」が重要なことを強調して、読者を各章に導いている。

本書の基本的問いは「企業における熟達者はいかに経験から学んでいるか」である。ここでの3つの分析視点は、学習を促す経験の長さ(3)と特性(4)、学習を方向づける信念の役割(5)、学習を支える組織特性(6)である。ここでいう熟達者とは「特定に領域で専門的なトレーニングや実践的な経験を積み、特別な知識や技能を持っている人」をさしている(Ericsson,2001)

1部の「先行研究の整理」は先行研究のサーベイに基づく理論的研究であり、大きく2つに分かれる。

 [熟達化の理論的研究]では、前半では、熟達者の認知活動を分析するためのビルディングブロックとして、知識、メタ認知、信念といった概念を整理している。後半では、これらが獲得される熟達過程を分析するための熟達化モデル、実践からの学習、プロフェショナリズムの理論的枠組みを紹介している。

 2[経験の実践的研究]では、経験を「人間と外部環境との相互作用」と定義し、経験年数と業績との関係、学習を促進する経験特性、経験からの学習能力について、従来の研究を整理している。そして、経験学習のプロセスの知見に熟達化理論を融合させる研究枠組みの必要性を主張している。

 第二部は、「経験学習プロセスの分析」として、実証分析をおこなった本書の中核となる部分である。

 [10年ルールの検証」は自動車と不動産の営業担当者の実証データに基づいて、高い業績を上げるためには、従来の他の分野での熟達者と同様に10年の経験によって、実践で役に立つスキルを獲得が必要なことを見いだしている。

[学習を促す経験]では、IT技術者へのインタビュー調査と不動産営業への質問紙調査に基づいて、「どの様な経験特性が熟達を促すか」「領域によって経験学習パターンが異なるか」について検討している。その結果、熟達者は、他者から学ぶよりも挑戦的な仕事から学び、領域によって、挑戦の仕方が異なることを指摘している。

 [学習を方向づける信念]では、不動産と自動車営業、ITコーディネイターに対する調査に基づいて、信念の働きを分析している。そして、目標達成志向と顧客志向の信念のバランスが重要であり、後者が経験学習を促進することを見いだしている。

 6[学習を支える組織]では、自動車営業担当者の調査に基づいて、目標達成志向と顧客志向が共存している組織において、学習を方向づける信念が形成されること、上場企業における営業担当者調査に基づいて、顧客主導の行動と知識ベースのプロセス評価を重視した内部競争が「知識共有のジレンマ」を解決し、組織学習を促進することを指摘している。

3部は「結論」である。7章「理論的・実践的示唆」では、第1部と2部に基づいて、組織における経験学習のモデルを提示し、プロフェショナルを育成する指針について述べている。ここで示されている理論的・実践的示唆は、研究者、実践家双方にとって有益なものになっている。

本書は、専門書ではあるが、心理学や経営組織論の専門家でなくても、読みやすいように工夫されている。著者のこれまでの実証研究論文をベースにした第二部の3章から6章においては、各章の導入部分で問題の設定がされ、つづいて、調査方法、分析と、発見事実の考察、そして、小括が続いている。本文中には、随所にモデル図が示されており、註には、基本的な用語解説や細かい手続き、項目と因子分析結果などが記載されており、読者が方法を理解し、追試ができるように記述されている。さらに、付録では、知識やスキル、経験学習の中身がわかるように、インタビュー・データの一部がまとまった形で掲載されている。ここでは、実践の場にいる働く人たちの肉声が聞こえるようになっている。

 

2 組織における経験学習のモデル

筆者が提案した組織における経験学習のモデルのエッセンスは「経験学習の質は、所属する組織の特性と個人の信念によって決まる」という点である。すなわち、「個人が経験から効率的・効果的に学ぶためには、内部競争と顧客志向のバランスの取れた組織において、目標達成志向と顧客志向を両立した信念をもつ必要がある」。従来のKolb(1984)などの熟達化のモデルが個人の認知プロセスに焦点をあてたのに対して、本書のモデルは、社会・文化的側面や信念という高次のメタ認知プロセスを考慮している点で新規性をもつ。

 著者が最終章で挙げた「いかにプロフェッショナルを育てるか」についての指針は、本書のデータと理論に基づくものである。その主なものを挙げると、経験学習に関しては

・入社後の「10年間で(質の高い経験を積み)精度の高いスキルを学習する」、

・「思いを込めた経験を積む」(挑戦的な課題に対して、顧客と思いを共有しつつ、全力で取り組む)

・「経験の流れをデザインする」(管理職は経験学習のパターンや流れを重視して異動、教育、評価をなどのキャリア ・デベロップメント計画をたてる)、

企業や業種をまたがってキャリアを構築する「バウンダリーレス・キャリアの時代に対応」して、経営者は人材採用や経験学習の機会を提供する

「顧客志向が学ぶ力を育てる」ことに関しては、

・「(目標達成志向と顧客志向の)バランスの取れた信念を育てる」

組織は「顧客志向の仕組みを整備し」顧客主導の「内部競争によって知識を共有する」

これらの指針は、企業だけでなく、学校や研究所などの組織にも適用でき、教員や研究者の育成にも有益だと考える。

 

3 研究者としての経験学習

 本書は、著者の10年にわたる研究者としての熟達化、経験学習の成果でもある。評者は10年前に、社会人大学院生として東京工業大学社会理工学研究科に入学した著者と出会った。著者は、北海道大学大学院修士課程で社会心理学を専攻し、製薬会社、シンクタンクを経て、大学に移り、若手研究者として、不動産や自動車の営業担当者の研究を進めていた。著者は、遠方の私の研究室に隔週で通って英文の博士論文をわずか2年でまとめた。その博士論文は、組織における知識を、認知心理学の知識研究をベースに分析し、組織風土論、組織行動研究を融合させた点で画期的な内容をもっており、本書のベースとなっているその成果の一部は、海外の学術誌に掲載され、その年の最優秀論文賞を受賞した(Matsuo & Kusumi,2002)。その後、著者は、組織の内部競争のあり方が知識獲得に及ぼす影響に関する研究(松尾,2002)を進め、ランカスター大学の学位を取得した。その学位論文は英文の著書として出版されている(Matsuo2005)

こうした著者の研究者としてのすぐれた熟達化の土台にあるのは、社会心理学の研究者としてのトレーニングと、その後の企業やシンクタンクにおける質の高い経験とそこで身につけた精度の高いスキルである。それが、組織の現場におもむき、定性的なインタビュー調査と定量的な質問紙を組み合わせた研究を実践する方法論に結びついている。

さらに、著者は、研究者としての目標を達成する志向と周囲の人に配慮する志向のバランスの取れた信念をもっている。著者の研究に向かう真摯な態度、周囲の人の支えに感謝し研究を進めていく姿勢、そして人間観は、キリスト教の信仰に支えられている。本書では、実証的研究から導かれたモデルに、聖書に基づく考察が整合的かつ抑制的に語られている。すなわち、自己と他者との間で、「与えること」「受け取ること」の相互関係において学習が促進され、人間として成長できる」ことは、ビジネスや研究だけでなく、人生における学びにおいてきわめて重要な事柄である。本書は、熟達化が特定の個人の力によって達成されるものではなく、組織におけるすべての人が、周囲の人との相互関係を築く中で達成されることに読者に気づかせてくれる。

 

4 まとめ

本書は、働く人たちが周囲の人との関わりの中で、プロフェッショナルにいかに成長していくのかを,社会心理学、認知心理学、経営学の理論と手法に基づいて明らかにしたものである。本書に基づいて、仕事をめぐる社会問題である若者のフリーターと中高年のリストラ問題を考えてみると以下の2点を指摘できる。第一に若者が組織において最初の10年の質の高い経験学習をおこなう機会を保証すること、第二に、中高年の経験による熟達を適切に評価することの重要性である。

 したがって、本書は、組織に働く者にとって、そして彼らを支援しようとする心理学研究者にとってきわめて有益な本である。さらに、組織における学習や熟達化研究に関心のある社会心理学者にとっても、非常に重要な専門書である。

 

引用文献        

Ericsson, K. A. 2001 Expertise In R.A. Wilson & F.C. Keil(Eds.) The MIT encyclopedia of the cognitive sciences Cambridge, Mass. ; London : MIT Press

Kolb, D.A.1984 Experiential learning: Experience as the source of learning and development. NJ:Prentice–hall.

松尾睦 2002 内部競争のマネジメント:営業組織のイノベーション 白桃書房

MatsuoM. 2005 The Role of Internal Competition in Knowledge Creation: An Empirical Study in Japanese Firms. Peter Lang.

Matsuo, M. & Kusumi, T.  2002  Salesperson’s procedural knowledge, experience and performance: An empirical study in Japan. European Journal of Marketing.36(7&8),840-854.

 

この本に言及してあるブログ,URL

http://www.learn-well.com/blogmanabi/2007/05/post_52.html

 

楠見 孝(京都大学)