Program Summary(続き)

教育3回 内野亮平

心理テストは大きなビジネスとなっている.近年のWilliam Curtis BanksHoword Universityは,テストが想定されていることを行っているのかどうかを判断するための規準を説明した.第一に,テストはそのデザイン上予測するとされていることを予測するものでなければならない.すなわち,妥当なものでなければならない.もしそれが将来最も高い学業成績を得るであろう人々を同定する手助けとなるものであれば,それは学業成績予測のテストとして妥当なものである.第二に,そのテストはその結果が一貫したものであるということを常に証明するものでなければならない.第三に,そのテストを受ける,あるいは採点するものは,全員同じルールに従ってそれを行わなければならない。しかし,これらのテストはどれくらい客観的なものであるのであろうか?それらはBinetが考えていたような,バイアスがかかっていない客観的な評価装置なのであろうか?

Banksは,テストやテストの実施は学校や職場での少数集団を差別するために使うことが可能だと指摘している.多くのテストにおける文化的バイアスが,経験や以下の尺度の属性における重要な違いを見落としている。それは,言語能力や,社会的同調性(これは創造性や常識やその他の重要な能力を無視している)である。人をスクリーニング(選別)テストの中には,そのテストは仕事で成功するために必要な能力とは全く無関係であるにもかかわらず,人々を拒絶したり排除したりするのに使われているものもある。テストのもっとも深刻な誤りを持つ使い方は,心理テストは知能や人格の基本的な不変的特性を明らかにすることができるという間違った信念に根ざしたものである。中にはテストの結果を,人種全体が劣っていると主張するために使っている人さえいるのである。

テストをどのように構成するか,結果をどのように使うかに力を尽くすとともに,心理学者たちは様々な方法で知能を定義している。心理測定学者達の中には,知能と呼ばれる単一の能力や特性を測定していると信じているものもいる。しかし最近は,認知心理学者たちがそのテーマに別の観点を与えている。ハーバード大学のHoward Gardnerは能力には少なくとも7つの種類があり,特定の能力の価値を決定するのは社会や文化であるという理論を立てている(次頁の表を参照)。西洋文化では言語能力や論理的思考が評価される;一方バリ島では,優れた身体や音楽的能力が高く要求される能力である。

神経学者には,心と文化との複雑性を完全に無視するものもいる。彼らは,人々の驚きへの反応と適応の仕方における違いを探るために脳波を測定する。彼らは,脳の活動には特徴的な反応パターンがあると想定している。これらの測定が妥当なものであるのかどうか,それらがどのような目的に役立つのかはいまだよく分かっていない。

 

 

 

 

 


1.言語能力

2.論理的−数学的能力

3.空間的能力―空間操作:メンタルイメージの形成,変形,使用

4.音楽能力:音の高低パターンの認識と創造

5.身体−運動能力:筋肉の運動,調整能力

6.個人間能力:他者理解

7.個人内能力:自己理解,自我同一性意識の発達

 


Gardnerの7つの知能

認知心理学者Howard Gardnerによると,知能は能力の7つの異なる領域として同定でき,その価値は文化的に決定される

 

より重大な最近の議論の1つは「テストのための教育」に関するものである。もし教師がテストされることが分かっている能力や内容に集中したならば,標準化された評価尺度において生徒の点数を増加させることができるにもかかわらず,それが子ども達を教育する最適な方法かどうかは明らかではない。生徒たちが評価尺度では成績が良くても,他のことはあまりできないかもしれないことも心配なことの1つである。そしてこのことがそのテストの非妥当性を表しているだろう。

もう1つのとても重要な心配事はラベリングに関するものである。スタンフォード大学のClaude Steeleは人の状況における社会的な側面が自己ラベリングを引き起こしているかも知れず,そのことが人の行動に影響していることを発見した。例えば,女性は数学が苦手だというステレオタイプを想起することや,ある生徒が女性だと想起することがその生徒の数学の成績を低下させる原因になるかもしれない。

知能はAlfred Binetがもともとそれを概念化したものと類似しているように見える。それは動的で複雑な認知的構成概念である。このため,その評価はとても扱いにくいものとなり得る。それをめぐる議論はおそらくはるか未来にまで続くであろう。