コネクショニストモデルと認知心理学             楠見 孝

 

『コネクショニストモデルと心理学:脳をモデルに心を探る』(守一雄・都築誉史・楠見孝(編著)北大路書房2001年6月発行予定)では,コネクショニストモデルを用いた学習,記憶,言語,思考,発達,社会,障害,生理などの心理学研究に新しい研究手法を紹介した。そして,コネクショニストモデルが,心と脳に関する科学的研究の統合的なモデルや理論を構築するための重要な武器になることを示した。


 これまで日本の心理学研究は,実験とデータの分析で終わり,そこからシミュレーションをしたり,モデルや理論構築に進むこと,さらに,他の学問分野に向けて発信したり,共同でプロジェクトを組むことは多いとはいえなかった。


 私たちがコネクショニストモデルに関する本をまとめた動機は,心理学者が伝統的な手法や枠組みに閉じこもるのではなく,コネクショニストモデルに基づくシミュレーション技法を身につけることによって,理工学の研究者とも協調して,心と脳の研究に取り組むことの重要性を感じていたからである。脳科学の進歩によって脳のミクロなレベルでの振る舞いがとらえられた時,また,計算機科学の進歩によって人と同じ振る舞いが工学的に実現できた時に,心理学の役割はなくなるだろうか。そうではないだろう。マクロなレベルの行動や心を説明するのが,心理学の目標である。そのためにも,これまで心理学が積み上げてきた理論やモデルと脳科学や計算機科学の研究の架け橋として,コネクショニストモデルは重要な役割を果たしていると考えている。


 そのためにも,これからの心理学教育における実習は,実験法やデータ解析法だけでなく,コネクショニストモデルを用いたシミュレーション実習を導入することが必要と考える。そのことが,実験心理学に脳科学や計算機科学等の成果を取り入れ,また逆に発信するためのステップになると考えている。すでに,アメリカにおいては,コネクショニストモデルに基づく実習が行われ,教科書が出版されている(リンク集参照)。しかし,日本にはそうしたコネクショニスト心理学の教科書はなく,多くの大学の心理学教育には,コネクショニストモデルはまだ本格的に導入されていない。したがって,本書がコネクショニストモデルを心理学教育に導入するきっかけとなり,また多くの読者を得ることによって,研究の発展に貢献できれば,編者としてこれほどうれしことはない。 


 これまで,日本におけるコネクショニスト(ニューラルネットワーク)モデルに関する本の多くは,理工系の研究者が書いたものであった。とくに,ニューラルネットをシステムの最適化や学習のツールとして位置づけている場合は,人間の認知機能との対応が言及されていない,計算論的な展開が主であるものも多かった。こうしたことが,日本の心理学者を,コネクショニストモデルから遠ざけていた一因として考えられる。したがって,本書では,文系の学生が数式やプログラミングなどで挫折することがないよう,数式のテクニカルな展開よりもコネクショニストモデルのもつ心理学的な意味に重点を置いて解説し,容易に利用可能なソフトウェアの紹介をおこなった(リンク集参照)


 個人的な経験を述べると,私の前任校の東京工業大学では,脳研究をテーマに,人工知能,制御工学,応用物理,生物,化学などの研究者が,ニューラルネットワークモデルを用いて研究を進めていた。学内の研究会に参加するたびに,心理学者が他の学問の研究動向に目を向けずに,心理学の世界だけに閉じこもっていては,取り残されてしまうという焦りを感じていた。私は,幸いにも繁桝算男教授(現在,東京大学),中川正宣教授という心理学で同じ関心をもつ上司から刺激を受け,学生や院生たちと一緒にラメルハートとマクレランドら(Rumelhart & McClelland, et al,1986)の本を読むことから,コネクショニストモデルを学ぶことができた。さらに,1998年から1999年にかけてのカリフォルニア大学サンタクルーズ校,ロサンゼルス校で在外研究では,ホリヨーク教授,ハメル準教授らの研究を身近に知ることができた。また,授業で,コネクショニストモデルの実習が行われていることを知った。サンタクルーズ校でカワモト準教授の下で在外研究をしていた都築さんとの出会いはこの本を生み出す伏線でもあった。京都大学の教育学研究科に199910月に転任してからは,大学院のゼミで,最初の年は,プランケットとエルマン(Plunket & Elman,1997) の本を使って,tlearnで学習を進め,つぎの年はSTATISTICA Neural Networks を使いながら学習を進めた。学生たちは,熱心に参加してくれ,本書の2章のコメントもしてくれた。さらに、学会のシンポジウムや本書の編集、そして研究活動を通して,編者の守さん、都築さんをはじめ多くの方から刺激を受けることができた。こうしたすべての皆さんに心から感謝申しあげたい。


<引用文献>
Plunkett, K. & Elman, J.L. 1997 Exercises in rethinking innateness. Cambridge, MA: MIT
 Press.
Rumelhart, D. E., McClelland, J. L., & the PDP research group (Eds.) 1986 Parallel distributed processing: Explorations in the microstructure of cogni tion. Vol. 1, 2. Cambridge,
 MA: MIT Press.

 

『コネクショニストモデルと心理学:脳をモデルに心を探る』(守 一雄・都築誉史・楠見孝(編著)北大路書房20016月発行予定)に「あとがき」として掲載予定