研究者の資質
伊藤 美加

京都光華女子大学文学部・全学共通教育センター准教授
2002年博士課程修了(吉川研究室)

 研究者の資質とは何でしょうか。研究が好きであること、研究計画を適切に立てそれを着実に実行することができること、研究内容や研究方法について論理的に思考できること、研究成果を発表するために論文作成やプレゼンテーションが上手であることも大事でしょう。それらに加えて、「研究環境をうまくデザインする力」が、これから強く求められるだろうと思います。
 研究や学習というと、一人でコツコツと、というイメージがありますが、近年の学習科学の研究知見からは、「協調的な学習」の重要性が指摘されています。協調的学習とは、「教え合ったり議論したりする仲間がいる」「自分より少しできる人や相当できる人など、さまざまなレベルの先輩や後輩がいる」など、知識は他者とのやり取りの中で獲得され磨き上げられていくものだとする見方です(三宅・白水,2003)。すなわち、他者に助けてもらったり他者と共同・協調して考えたりすることを指します。
 このような協調的な学習は、学習者が集まれば放っておいても起きるわけではありません。自分の知っていることと他人から教えてもらったことや発見したこととを相互に結び付けて自分の知識として構成し直すという、知識構成・知識統合を促すような学習環境をデザインすることが必要になります。
 いまから振り返ると、私が所属していた「教育認知心理学講座」はまさに知識構成・知識統合の可能性を秘めた場でした。児童期の文章理解や言語算出の過程、身振りなどノンバーバル行動の影響など、さまざまな研究テーマを持つ院生が集まっていました。つまり、知識のヴァリエーションのある学習者が互いの研究について自由に議論できる雰囲気だったように記憶しています。とはいえ、いくらそのような場であっても、そこに自分から主体的に関わりその場を活用し、知識構成や知識統合がなされるように、うまくデザインをしなければ「よい学習環境」にはなりません。
研究者を真剣にめざすみなさん、このような意味での、良い「デザイナー」を是非目指してほしいと願います。
〔文 献〕三宅なほみ・白水始 (2003). 学びを見直す 三宅なほみ・白水始 『学習科学とテクノロジ』 放送大学教育振興会 pp.13-25.


教育認知心理学講座の“良さ”とは
北神 慎司

名古屋大学大学院環境学研究科准教授
2002年博士課程単位取得退学(吉川研究室)

 私は、現在、名古屋大学大学院環境学研究科の心理学講座というところで、応用認知心理学のスタッフとして、働いています。京都大学大学院教育学研究科の教育認知心理学講座(以下、京大教育)には、修士課程と博士後期課程の5年半、在籍していました。今回、「修了生からのメッセージ」という原稿の依頼をいただいて、正直、何を書けばよいか、迷うところも多いのですが、在籍していた当時のことを懐かしく思い出しながら、「京大教育の何がよいのか」ということを中心に、思いつくままに、述べさせていただこうと思います。
 京大教育の最も良いところは、「人的資源が豊かである」という一言に尽きると思います。現在スタッフとしておられる先生方は言うまでもありませんが、心理学のさまざまな領域で、国内外を問わず、第一線で活躍しておられるOBやOGがとても多いことは、大学院生として在籍していた頃の私にとって、とても恵まれた環境であったと思います。実際に、実験や調査の計画に関することから、学位論文をはじめとして、投稿論文の執筆に関することに至るまで、さまざまな相談に乗っていただきましたし、就職して大学教員とし勤めている今でも、研究だけに限らず、教育などのさまざまな面で、OBやOGの先生方に助けられています。
 また、京都という土地柄のおかげでもありますが、世界レベルで活躍しておられる海外の著名な研究者が、講演等で、京大教育に来られる機会が多く、そういった先生方と、交流を持つことができるということも、人的資源の豊かさを表していると思います。実際、大学院生だった当時、海外の研究者の先生方と一緒に京都観光をしたり、宴席を囲んだりする機会が幾度となくありました。そういった機会を通じて、多くの刺激を受けたことは、研究者としての貴重な財産になっていると思います。
 さらに、志の高い大学院生が多い、ということも、人的資源の豊かさの一端を示すものであると思います。大学院生の志の高さは、たとえば、大学院生だけで研究会や読書会を行う機会が多いということに表れていると思います。そういった研究会や読書会は、専門の近い大学院生だけが集まって行うようなものだけでなく、(私の専門である)認知心理学、教育心理学、発達心理学、社会心理学、神経心理学など、さまざまな領域の大学院生が一緒になって行うものも多くありました。このように、誰に言われるでもなく、自発的に大学院生同士、切磋琢磨する環境が、当たり前のようにあったことは、今思えば、とても貴重なことであると感じています。
 このように、いろいろとポジティブなことばかり書いてきましたが、そればかりだと、かえって信用性に欠けるということもあるので、ここで、あえて、ネガティブなことも書いておこうと思います。そのネガティブな点というのは、「実験室等の設備面があまりよろしくない」ということです。教育学部の建物自体、かなり年季が入っているため、必然的に、その中にある実験室や研究室も年季が入っており、施設や設備という点で、他の大学に比べて、お世辞にも素晴らしいとは言いづらいと思います…。ただし、これは私の勝手な推測ですが、近い将来、耐震補強の関係で、学部の建物自体が改修工事されるはずなので、そうなれば、めでたく、上記のようなハード面のデメリットは、改善されることになります。
 最後になりましたが、私が在籍していた頃よりも、現在の京大教育は、グローバルCOEによって、大学院生の研究環境は、比べものにならないほどよくなっているということを伺っています。こういう大きなメリットに加えて、これまで述べてきた人的資源の豊かさというメリットは、よき伝統として、今なお残っていると思うので、大学院へ進学しようかなと考えておられる学生の方、あるいは、現在の環境に満足していない大学院生の方には、大学院生として籍を置くひとつの候補として、京大教育をお勧めいたします。ただ、私の現在の立場上、手放しで母校だけをお勧めするわけにもいかないので、あえて追記させていただくと、名古屋大学大学院環境学研究科の心理学講座も、京大教育に負けず劣らず、よい研究環境だと思いますので、進学先の候補のひとつとして、お考えいただけるとありがたいです。


研究者への道
金田 茂裕

東洋大学文学部教育学科講師
2003年博士課程単位認定退学(子安研究室)

 大阪大学人間科学部を卒業後、大学院に進学し、教育認知心理学講座で院生(1998-2002年度)、助手(2003年度)、COE支援研究員(2004年度)として7年間過ごさせていただきました。子安増生先生のToM研で修士課程1年のときLerning and Instruction誌の特集号“Modeling Reality in Mathematics Classrooms”の文献紹介をしたのがきっかけで、子どもの複数解を考える数的思考を研究テーマに決めました。ものごとを考える楽しさには、あらかじめ用意された解を探しあてる楽しさと、さまざまな可能性を考える楽しさがあると感じていたためです。解が複数ある課題を算数教育の内容に即して用意し、さまざまな機会を利用し課題を子どもに提示しました。そこでは興味深いと思える反応を得たのですが、研究としてはなかなか進まず苦しかったこと、先生や講座の先輩、同期の方々からたくさんのアドバイスをいただき、それがとてもありがたく、少しずつ前に進み始めたこと、講座の演習で多様な研究テーマの発表を聞くことができ刺激となったことなどを記憶しています。7年間の後半は次第に充実した時間となり、私の出発点となりました。信州大学人文学部助手(2005-2006年度)のときは、認知心理学の実習・演習の担当に加え、地域の公的機関もかかわる学際的研究に参加する機会があり、安曇野・塩尻などで比較的規模の大きい社会調査を数回おこないました。2006年度には博士学位論文を提出しました。
 現在(2007年度以降)は、東洋大学文学部教育学科で教育心理学、生涯発達心理学などの授業・演習を担当しながら研究しています。学科では2008年度から初等教育専攻をスタートさせ、大学と現場を行き来する実習のしくみを作っています。そのなかで、私の研究テーマである子どもの数的理解に関して考えることも多く、研究の機会も数多くありそうだと期待しています。


修了者の声
米田 英嗣
日本学術振興会特別研究員PD
ウィスコンシン大学マジソン校心理学部
2007年博士課程修了(楠見研究室)

 こんにちは。教育認知心理学講座修了者の米田英嗣です。私は、2002年4月に教育認知心理学講座に入学しまして、2007年3月に博士号を授与されました。「修了者の声」ということで、教育認知心理学講座全体についてと、私が所属していた楠見研究室について書こうと思います。
 教育認知心理学講座は、大講座制をとっています。入学してそのことを聞いたときは、何のことか正直よくわからなかったのですが、要するに、講座にいらっしゃる教員、大学院生全員の前で発表をして、意見を頂けるということです。教育認知心理学講座を卒業して離れてみてわかったことですが、これは大切なことです。認知発達、感情、コミュニケーション、心理言語、思考、記憶といった高次認知の中でも最重要と思われる領域の第一線の研究者たちに気軽に質問ができ、コメントをいただけるという環境を、私は日本ではここ以外に知りません。大学院生同士でも所属する研究室にかかわらず仲が良く、関心の近い人々が集まり、勉強会が日常的に行われていました。シラバスには載っていない、教育認知心理学講座の隠れた授業といえるでしょう。
 さて、私が大学院時代お世話になった楠見研究室についてです。楠見研(Brown Bag Seminar; BBS)は、研究が好きで仕方のない人たちの集まりです。週一回のBBSでは、楠見先生のお人柄を反映して、自由闊達で密度の濃いディスカッションが、毎回繰り広げられています。BBSメンバーは、当ホームページの研究室紹介にも書かれていますように、場所を問わず、いつでも本当に楽しそうに研究の話をしています。また、日本学術振興会特別研究員(学振)の採択率が非常に高いのも特徴です。これは、楠見先生の懇切丁寧な研究指導に加え、大学院生、研究員との日常的なインタラクションによって、学振に採用されるノウハウ (たとえば、説得力のある申請書の書き方、日頃のディスカッションで鍛えられる、的確で迅速な質疑応答の技術)が、意識せずとも身につけられる環境にあることが原因であるといっては言いすぎでしょうか。
 ぜひ一度、教育認知心理学講座とBBSを訪れてみてください。研究者になるための素晴らしい入り口が、あなたを待っているでしょう。


教育認知心理学講座で培った研究姿勢
杉森 絵里子

日本学術振興会特別研究員PD
東京大学大学院総合文化研究科(丹野研究室)
2006年博士課程修了(楠見研究室)

 修士課程から博士課程の間、京都大学大学院教育学研究科教育認知心理学講座(楠見孝研究室)に在籍できたのは、私にとって非常に有益なことでした。というのも、先生方が、研究者の養成に100%の力を注いで下さったからです。
 〔実験設備や研究環境〕 必要とする器材の申し出を行なうと、その購入について前向きに考えて下さいました。その他の環境においても、私たちが快適な研究生活ができるよう、常に私たちの意見に耳を傾けて下さいました。
 〔海外研究者との交流〕 COEの助成によって、海外における学会発表を望んだ時、それを実現させて下さいました。海外から私の研究と関連する領域の先生を迎えて下さり、その先生の京都案内を任せていただけました。これらのおかげで、海外への論文投稿を始めとする、自身の研究の国際化をスムーズに考えることができました。
 〔院生同士の絆〕 すべての研究室が恵まれているからか、院生同士は仲が良く、やっかみやねたみがありませんでした。院生同士で研究会を開き、熱い議論を交し合うなど、お互いが刺激を受け合い与え合う環境でした。
 こちらが積極的に求めれば、精神面においても、経済面においても真剣に向き合って考えてくださる先生方ばかりです。先生方が研究を愛しているというのが一番の理由だと思います。もちろん、叱られることもありましたが、研究に対する真面目で純粋な気持ちを尊重して、それを大切に育ててくださいました。今後も、先生方から受け継いだ姿勢を忘れることなく、研究に励みたいと思っております。


生涯どこででも活きる「新しい課題にチャレンジする力」と
「まやかしの『答え』にだまされない力」を
西垣 順子

大阪市立大学大学教育研究センター准教授
2002年博士課程修了(子安研究室)

 京都大学で過ごした年月を振り返ると、発達心理学を含む心理学研究や認知科学研究、教育研究に真摯に向き合う多様な人々の考え方に触れながら、自分自身でいろんなことをたくさん考えた日々だったと思います。当時の教育認知心理学講座には、高い見識と個性をお持ちの先生方のもとでさまざまな研究をしている、これまた個性豊かな大学院生がいました。そういう人々との演習や日々の議論(雑談)、豊富に参加機会のある研究会や講演会での議論といったものから多くの刺激を受けながら、自分自身の研究に向き合っていました。
 私は博士後期課程1年目の時に、博士論文に向けてどう進めばよいかがわからなくなって悩みました。多様な研究をしている多様な院生がいる研究室では、直接的に役に立ってくれる人は必ずしもいません。しかし身の回りの人々が心理学に向き合い真摯に研究をしていることが、様々な形で私にヒントを与え、「教育」や「発達」に対する私自身の思想の基盤を豊かにしてくれました。そういう日々を通じて、私もトンネルからはなんとか抜け出し、博士論文を仕上げることができました。
 今にして思うと、博士論文の中身よりも、そういう環境で研究に取り組んだことそのものが、その後の私の仕事に多大な影響を与えていると思います。私は大学院生のときには小学生の読み書き能力の発達の研究をしていました。しかし、博士後期課程修了後は信州大学の教育システム研究開発センターという大学教育に関する研究開発をしながら信大の教育の充実のための仕事をする職場で働き始めました(現在の職場も大学は違いますが同じような部署です)。
 縁あって飛び込むことになった新しい世界は、入ってみると想像とは全く違いました。センターに検討が求められる課題はたくさんありましたが、当時の私には、なぜそれが解決しなければならない課題であるのかさえも、さっぱりわかりませんでした。勉強しようにも、どの本を読めば良いかすらわかりません。答えを教えてくれる人など、勿論どこにもいません。
 実を言うと、「答え」らしきものは学内外のあちこちにありました。けれどそれらの「答え」は、私にはまやかしに見えました(実際にまやかしだったと今でも思います)。さらにややこしいことに、検討が求められる問題そのものが、まやかしであることもあるのです。これらのまやかしに飛びつくことは、答えがわからずに立ち往生するよりも危険です。
それでも新しい世界で3年目を迎えるころには、私なりに問題を整理し、答えを探すことができるようになってきたという手ごたえがありました。もちろん、まだまだ未熟なことがたくさんあるのですが、一歩ずつでも前に進んではきたとは自負しています。
 ここまで来る過程では、(北海道から沖縄まで)多くの人にお世話になりました。逆に言うと、多くの人にお世話になることができたのは、京大で様々な志向を持って研究してきた人たちと真剣に議論したことを通じて、育んだ力があったからだと思います。また、まやかしの答えを示されるたびに「それは何かおかしい」と感じ、いわゆる「偉い」人が言うことであろうと同意せずに来たのは、教育認知心理学講座を中心に、多くの人々の教育・研究に対する真摯な実践に接する中で、私の中で大事な基盤ができたからだと思います。
 学生や院生のときに専門で研究したことを、生涯にわたって研究し続けるのも立派な生き方です。しかし実際には、それだけでは済まされません。私の場合はたまたまその道で職を得ませんでしたが、たとえ教育心理学を研究する職を得たとしても、結局は同じことです。時代も社会も移り変わります。そのたびに、私達「知識人」が解を探らなければならない新しい問題が出てきます。時代に迎合せよというのではありません。時代に流されないためにも、常に新しい問題に立ち向かい、まやかしに騙されない力が必要なのです。
 私は教育認知心理学講座ですごす中で、そのような力を伸ばすことができたと思っています。皆さんも皆さんのやり方で、そのような力を伸ばして欲しいと思います。
 そしてもうひとつ。どのような道であっても競争はつきもので、プレッシャーは大変だと思います。しかし、それに負けないで欲しいです。「我を忘れる位に努力する」ことは大事ですが、本当に我を忘れてはしまわないように。自分はなぜ、何のためにこの研究をしているのか(実用という意味ではありません)、研究することを通じて社会や人についてどのように考えるのか、常に立ち止まって考えて欲しいと思います。「本当にそれでいい?」「何か忘れていない?」と問いかけてくれる多くの声が、教育認知心理学講座にはあると思います。


修了者の声
服部 貴大

静岡県立浜松大平台高等学校教諭
2007年修士課程(専修コース)修了(楠見研究室)

 私は高等学校で数学を教えている。そんな私が、京都大学で学ぼうと思った理由は、自分の仕事に対して、行き詰まりを感じたからだ。
 高等学校では、授業を無難にこなせるようになり、生徒からの評価もまずまずである。だが、そこからさらに一歩進もうと思ったとき、このまま教員を続けていては難しいと思った。そこで、考えたのが、新たな知識を身につけることである。高等数学の本を読んだり、数学教育の本を読んだりと知識を蓄えるようにした。そんな本の中に、認知心理学があった。認知心理学では、人間の認知特性から教育へのアプローチを掛けることができる。そのアプローチの仕方が、今までの私の中では曖昧で、明確に狙って教育に取り入れて来られなかった部分であった。そこで、認知心理学についての本や論文を読むようになるわけだが、現存する本や論文だけでは、自分が知りたいものが完全に見つけられるわけではない。新たに調べたいこともある。そんな中、大学院へ行って新たに調べよう(研究しよう)と思うようになった。そんな理由で、京都大学にお世話になった。京都大学では、研究の方法をみっちりと身につけることができた。また、優秀で親身な先生方と、研究熱心なたくさんの大学院生、研究生がおり、そうした方々との交流がさらに知識と視野を広げることができた。そして、豊富な蔵書によって、京都大学にいればほぼ欲しい資料が揃うという恵まれた環境で更なる知識を身につけることができた。これが、私が京都大学で得ることができた主なものであり、また京都大学で学んだメリットであると思う。
 現在、私は、再び、高等学校で数学を教えている。京都大学で学ぶ前と比べて、かなりの進歩ができたと思う。現在でも、研究を続けている。そんなことができるのも、京都大学で学ぶことができた知識・技能・精神のおかげだと思う。高校の教員にとって、研究は必ずしもやらなくてもよいものである。だが、研究は自分の教員としての知識・技能・モチベーションを高める良い方法となっている。


修了者の声
林 創

岡山大学大学院教育学研究科准教授
2003年博士課程修了(子安研究室)

 私は、平成10年度から18年度の途中まで、大学院生や日本学術振興会特別研究員PDとして8年半にわたって、教育認知心理学講座にお世話になりました。学部3回生から実習等で、教育認知心理学講座の先生方や院生の方々にご指導いただいていましたので、実際は10年ほどお世話になったともいえます。本講座を旅立った後は、京都大学の高等教育研究開発推進センターでの勤務を経て、現在は、岡山大学大学院教育学研究科の教育心理学講座に准教授として在職しています。
 今回、本講座への寄稿の機会をいただき、在籍時の楽しい思い出が走馬灯のように駆け巡りました。演習や研究会での議論はもちろんですが、講座の方々と数え切れないほど飲みに行かせていただき、そこで交わした雑談により研究を大きく前進させるヒントをいただいたことも多々あります。世界の第一線で活躍されている方々の集中講義や講演も頻繁に開催され、それらを拝聴できたことも貴重な経験です。講座の仲間と「下條信輔先生のお話を聞いてみたいね」と話していたら、本当に集中講義で実現していただき感激したエピソードもあります。これらはすべて、血となり肉となり、現在の私の研究者かつ教員としての大きな基盤となっています。このページをご覧になっている方には、本講座への進学を検討している方も多いと思いますので、以下に私自身の経験を踏まえて、本講座の素晴らしさを、さらにまとめてみたいと思います。
 第1に、心理学研究の多くの分野に触れることができる点です。本講座の大学院生やPDの研究や関心は、認知、発達、教育を中心に、社会、文化、進化など多岐にわたります。各教員の研究会以外にも、教員、院生、PDなど講座全員がそろう演習(「院コロ」)が毎週あり、ここは自分の研究の進捗状況を報告し、コメントをいただける場であると同時に、他者の研究発表を通して様々な心理学の最新の研究情報を仕入れることができる絶好の場でもありました。私が今、多様な心理学の分野をおもしろいと感じ、自分の分野以外についても多少なりとも議論についていけるのは、この場で得た知識による部分が大きいです。
 第2に、教員となる上でのトレーニングの機会がある点です。心理学の研究職として大学教員となった場合、職務として研究と同等以上に教育が求められます。このことの重要性は、院生の間はつい忘れがちになるのですが、最近の大学では、教育の質の向上を目的として様々なFD(faculty development)活動が求められます。本講座では、博士課程の院生がリーダーとなり、修士課程の院生や学部生とグループを組んで研究を進めていく演習(院ゼミ)がありました。多様な分野の院生が入り、学部生には臨床心理学の希望者も多かったため、グループをまとめていく独特の難しさもありましたが、必然的に視野が広がりました。このときの経験が、現職でのゼミ生の指導に様々な形で活きています。
 第3に、多くの分野にOB・OGがいる点です。先輩方の活躍は目標になりましたし、励みにもなりました。また、上でも述べたように、大学に研究者として就職するには教育歴も積んでいくことが必須ですが、講座の先輩方から非常勤の授業をたくさん紹介していただきましたし、私自身も後輩に引き継いでもらいました。これも講座の縦の太い絆がなせる技といるでしょう。
 このように本講座は、研究教育環境が実に素晴らしく、様々な伝統や財産によって、研究者として飛躍していくチャンスに恵まれているところですが、その根幹にはすべてを包み込む「多様さ」があるのではないかと思います。そして、このようにまとめると、研究者になるためには、優れた環境で学ぶことがいかに重要かよくわかります。私が学会賞(日本教育心理学会「城戸奨励賞」)を賜ることができましたのも、本講座で貴重なコメントをいただけたおかげです。研究者への道を歩む上で、本講座で学び、多くの方々と切磋琢磨できたことを誇りに思い、幸せに感じています。
 唯一の後悔は、居心地が良すぎたことに甘えて講座を旅立つのが遅れ、先生方にご心配をおかけしてしまったことです。私が多くの講座の先輩を目標とさせていただき頑張ったように、これからは私自身も後輩に目標にしていただける一人となりえるよう、良い研究と教育を行っていくことが最大の報恩と思っております。今後の講座のますますの繁栄をお祈り申し上げます。


研究するという習慣
森田 愛子

広島大学大学院教育学研究科准教授
元日本学術振興会特別研究員PD(齊藤研究室)

 こちらの講座には、平成15年度〜16年度にかけて、日本学術振興会特別研究員(PD)として在籍させていただきました。短い期間ではあったものの、非常に充実した時間を過ごせました。
 自分の研究ができ、かつ、そこにいるだけで研究をブラッシュアップさせられる、とてもありがたい環境でした。PDという立場自体ももちろん良かったのですが、指導教員の先生、講座の先生方、他のPDや学生の皆さん、そして他の研究者との接触機会、などのおかげだったと思います。自分の研究に本当に有益な助言をしてくれる先生や仲間が常に周りにいるのが当たり前、という状況でした。
 これは決して、どこにでもあるものではありません。残念ながら、どのような環境でも研究が同じように進むわけではありませんし、無意識のうちにも環境の影響を受けてしまうものだと感じます。特に、“これが当たり前”“これが標準”という認識は、環境によって大きく影響されるだろうからです。
 在籍していた頃、研究を進めていく姿勢について指導教員の齊藤先生に「研究する習慣をつけることが大切」という趣旨のことを言われました。目の前の仕事等に追われて研究に割く時間が少なくなることがあっても、“習慣”として身についていれば少しずつでも進められますし、少しのブランクならば復帰もしやすいと思います。そのような習慣を身につけるのも環境によっては難しいと感じられますが、それが周囲の人々のスタンダードであるという環境にいれば、無理なく身につけられるように思います。
 私は幸い今も恵まれた環境におりますが、専門としている言語や記憶の分野で、どこにいても今までのように研究が進められたとは思いません。この講座で過ごした2年間は貴重な経験でした。教育認知心理学講座におられる皆様が今のような環境を維持し発展させていかれること、私のようにこの環境に入って来られる方々が、その環境の良さを十分に享受できること、を期待しております。


修了生からの声
横尾 知子

理化学研究所基礎基盤研究推進部企画課
2008年修士課程修了(齊藤研究室)

 私は、2006年4月から2年間、教育認知心理学講座に在籍していました。修士課程修了後は研究職以外の道を選択しましたが、希望する職に就くことができたのも、講座での経験があったからだと思います。暖かく送り出して下さった齊藤先生、講座の皆様には、今でも感謝の気持ちで一杯です。振り返ってみますと、講座での研究生活は下記のように様々な点で恵まれていたと感じています。
○院生が自律的な研究者として研究を行うことができる
 明確な目標を持って研究を進める同期、先輩、後輩との対話を通じて、自身の研究の進め方を考えさせられましたし、そのような環境の中で、研究を越えた広い意味でも「自分は何がしたいのか」について自覚的になることができたと思います。
○国際的な研究環境
 外国からのお客様が研究会に参加されたり、学内で国際シンポジウムが開催されたり、研究のフィールドが世界に広がっていることを日々実感することができました。
○教壇に立つことができる
 心理学実習(初級実験実習)など、学部生対象の講義のTAで教壇に立つことができたのは貴重な経験でした。「教える」ために必要な知識の量をM1のうちから体感できたのは良かったと思います。
○実験機器の種類が豊富
 私は視聴覚に関する実験を行っていたのですが、実験用ソフトウェア・パソコンはもちろん、色彩輝度計など使用者が少ない機器も揃っていました。講座にない機材は、必要に応じて購入していただくことができました。

 研究を計画的に進めていく過程と、社会人として業務を遂行する過程には通じるものがあると思います。仕事で壁にぶつかった際には、齊藤先生や周囲の方からいただいた様々なアドバイスを思い出すことも多く、講座での生活が今の生活に繋がっていることを感じています。「思い切り研究に打ち込むことができ、社会に出ても活かせる能力を身につけることができる」、このような素晴らしい環境で過ごせたことに心から感謝しています。